松根油は語る3

3.国立公文書館に保存されている松根油の資料
 
 新しく制作する松根油ビデオのための資料調査もかねて,戦略爆撃調査団がアメリカに持ち帰った松根油生産に関する基礎資料を探し出すため,国立公文書館(カレッジパーク)を訪れた.
 
 戦略爆撃調査団の正式な報告書は,部門別に製本されてマイクロフィルムにもなっているので情報公開によって今では誰でも見ることができる.松根油に関しては,調査団の石油化学部が作成した「日本における戦時の石油」の中にまとめてある.これはいわば最終報告書である.ちなみに最終報告書には,日本の松根油生産に関する次のような表がある. 

年度
生産量(バレル)
蒸留釜数
雇用された
労働者数
 陸軍
海軍
民間
 合計
1940
38,000
38,000
1941
38,000
38,000
1942
38,000
38,000
1943
50,900
50,900
1944
29,970
32,020
27,650
89,640  
 8,165  
 261,800
  1945(4-8)
64,980
 191,960 
-
256,940
37,007  
 434,000
 
 蒸留釜の数から見ると,1944年(昭和19年)におよそ8000基だった松根釜は,1945年には37007基までに増えている.
 
 正規の手続きを経て私が閲覧を許された松根油に関する原資料を入れたボックスには,松根油工場の写真や生産量を示す図などが含まれていた.  
松根油工場 写真はその中の1枚であり,戦略爆撃調査団によって撮影されたものである.道路のそばに松根油工場があり,道ばたに松の根がたくさん積まれている.山口県か愛媛県のどこかだということは分かっているが詳細な場所は不明.  









スケッチ さらに基礎資料群をおさめたボックスの中からは,図のようなスケッチが出てきた.調査団の一人が,訪問した松根油工場でその構造を描いたものである.戦後に松根油生産が行われていたことを不審に思われるかもしれないが,戦後もしばらくは操業していたようである.熊毛町の松根油工場を例に挙げれば,それまで海軍主導で生産していた松根油は,戦後は民間の手に渡り,松根粗油を生産して下松の日本石油に持っていきそこで精製して農業用発動機用に使用していたそうである.
 
 図には,松根釜の構造や煙突の位置,タール分離の原理や冷却槽を通って松根粗油が得られるしくみが描かれている.
  
 
次に進む.