柱島の港に帰ってきた.端島に行く船の便までまだ1時間もある.本当はこの機会に島の最高峰金蔵山に登りたかったが,時間的にちょっと厳しい.柱島の沖から島をながめたときに高いところに大きな鉄筋コンクリートの建物があり,島に渡ってそれが休校となっている柱島小中学校の跡だと知った.「あそこまでなら行けるかもしれない」と思い立ち,重い足を引きずって学校跡まで歩いた.
幸運なことに,港に帰ってきたところで,端島に住んでいるという人たちに出会った.同じ船で端島に渡り,船着き場で島のことを一通り教えていただいた.1945年7月24日にこの島に1発の爆弾が落とされ9人がなくなったのだが,その場所や亡くなった人たちの名前,当時の様子などを詳しく教えていただいた.昔のことだがやはりあまり思い出したくないらしく申し訳ない気持ちになった.
写真は岩国に行く船を待つ間に訪ねてみた端島小中学校の跡である.写真の右下,薪を背負って本を読む二宮金次郎像がそのまま残っている.明日からでも再開できそうな様子だが,今島には小学生も中学生もいなくなっているのでこの建物が学校として再び使われる可能性はほとんどない.また気持ちが重たくなった.