昔の写真で,それが撮られた場所がわかるとどうしてもそこに行ってみたくなる.今回の旅で私が外せなかったのが右の写真の場所,長崎市長浦の特設見張所跡だった.私にとってはこの旅のハイライト部分である.
出発するときに案内をお願いした方が鉈カマを用意していたので,まさかとは思ったがそのまさかで,ブッシュを切り拓きながらの前進だった.そしてようやく目的地にたどり着いた.筒状に見える地形の一番低いところに戦時中は聴音機が設置してあった.電波の速度に対して音速は著しく遅いので,すでに時代遅れの兵器だったが,日本では,敵機の高度や位置を知るために,多くの見張所で使われていた.戦後調査にやってきた米軍は,レーダー施設には関心を示して調査し写真も多数の越されているが,聴音機の写真は数えるほどしか遺されていない.
私たちが訪ねたところを戦後米軍が撮影したのが左の写真である.よく知られたラッパ型の聴音機ではなく,ドイツの聴音機をコピーしたエ式聴音機が設置されていた.聴音機を囲む掩体は地元産の結晶片岩を積み上げたものであることは,今回初めて知った.訓練を受けた人たちが24時間体制で任に当たったが,聴音の最大の敵は風で,そのため写真の
ように全体がスリバチ状になっていた.
(写真は米国立公文書館所蔵)
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