コロナ禍が始まる前に計画した川尻岬行きがようやく実現した.川尻岬は,山口県内にあっても,広島や北九州に行くよりずっと遠く感じられ,旅にはある種の決断を要した.戦時中,岬には日本海軍の防備衛所(甲)があって,沖を通る潜水艦を見張り必要なときには攻撃できる態勢を整えていた.
実際に防備衛所や関連施設がどこにあったのかは不明だったが,山口県文書館でヒントになる図面を見つけて分析,およその位置は推定できた.結論的に言うと,今回の調査で「防備衛所の遺構はまったく残っていない」ことがわかった.目星を付けた場所をていねいに捜したが見つけることができなかった.当時のことを知る人に話を聞けたことが今回の旅の収穫だった.
写真は,調査を終えて川尻岬の突端にある灯台まで足を伸ばし,そこから帰る途中に南方の海岸線を撮影したもの.岩礁や波の様子がやはり瀬戸内海のものとはちがうと感じた.