祝島でいろんなことがわかったので,やはり現地調査が大事だということで,今日は上関にやってきた.わが家から約1時間半車を運転して,上関大橋を渡り長島に行った.長島では約束していた人に首尾よくインタビューすることができ,再び上関大橋を通って室津に移動,最後の訪問地志田にやってきた.
観光案内書にはないが,1945年7月28日に川崎汽船の聖川丸(きよかわまる)が米海軍の艦載機に攻撃されて,最後は沈没を避けるために志田の浅瀬に乗り上げた.このとき亡くなった17人を慰霊する「聖川丸戦没者の墓」が志田岬を望むことができる小高い丘の上に建てられている.碑文にある死亡した人たちの出身地が日本全国に及んでいて,予想もせずこと志田で最期を迎えた人たちの無念さを考えずにはいられなかった.